「六波羅蜜」(ろくはらみつ)とは、
この世に生かされたまま、
仏様の境涯に到るための六つの修行を言います。
「波羅蜜」(はらみつ)とは、
梵語の「パーラミター」のことで、
煩悩・迷いの世界である「此岸(この世)」を離れ、
今、生きているこの身このままに、
悟りの境地である「彼岸」に到るように
精進していくということです。
「六波羅蜜」と「十波羅蜜」があり、
「六波羅蜜」(ろくはらみつ)は、彼岸へ到る為の六つの実践方法を説くのです。
布施(ふせ・ほどこす)
「布施」とは、施すこと・恵むこと・与えること。
「布」は心があまねく行き渡ること、「施」は人に恵むこと。
基本的に3つ、「財施」「法施」「無畏施」の「三施」があります。
- 財施 (ざいせ):物質的に役立つものを他人に施すこと。
- 法施 (ほうせ):教えの施し。
仏法を人に説いて聞かせること。教えを説くこと。 - 無畏施(むいせ):おそれなき状態を与えること。
一切衆生に恐怖の念をなからしめること。
恐れを取り除いて安らぎを与えること。
これらの「布施」は、「施す者」「施しを受ける者」「施す物」、
三者、全てが清らかでなければいけません。
欲張りのない心での行いを「施し」と言います。
敢えて善行として行うとか、返礼を期待してはいけません。
また受ける側もそれ以上を望んだり、繰り返されることを
期待してはいけません。
「してやった」という思いを持って行うと、
物惜しみの心はいつまでもなくならず、驕りや、見返りを求め、
そして見返りがなければ、怒りや恨みの念も起こりかねません。
一方「させていただいた」という思いで行えば、
感謝の心が起こり、譲り合いや互いに助け合う心が生れます。
感謝の心を持って、譲り合いや互いに助け合っていくのであれば、
本当に人を信じることが出来るようになります。
本当に人を信じることが出来れば、
人付き合いで煩わされることも、
一人で悩んで疲れてしまうこともなくなり、
安心に包まれた素晴らしい世界になるのではないでしょうか。
「してやる」のではなく、「させていただく」。
「相手」からではなく、まずは「自分」から。
持戒(じかい・つつしむ)
本分を忘れずにルールを守った生き方で、
人間らしく生活することです。
自分勝手に生きるのではなく、
互いに相手のことを考えながら、
仲良く譲り合っていく生活です。
忍辱(にんにく・しのぶ)
悲しいことや辛いことがあっても、
落ち込まないで頑張ることです。
物事の本質をしっかりと押さえて、
時には犠牲的精神を持って困難に耐えることです。
精進(しょうじん はげむ)
まずは最善を尽くして努力すること。
良い結果が得られてもそれに奢らず、
更に向上心を持って継続することです。
禅定(ぜんじょう・心身を静める)
心を落ち着けて動揺しないこと。
どんな場面でも心を平静に保ち、雰囲気に流されないことです。
智慧(ちえ・学ぶ)
真理を見極め、真実の認識力を得ること。
人は誰でも生まれながらにして仏様と同様の心を持っています。
欲望が強くなると、単なる知識だけで物事を考えるようになります。
知識ではなく智慧の心を以て考えることです。