菊の文様

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「菊」は奈良時代から平安時代にかけて、
Chinaから伝えらました。
Chinaの黄河源流にある「菊」の群生地から
流れ出た水を飲んだ里人が延命を得たという「菊水」の伝説や、
菊の露が滴った渓流の水を飲んで
長命を得たという
能楽の『菊慈童』の伝説などにより、
長寿を象徴する代表的な植物と言われています。
 
 
「菊水伝説」
唐時代の類書『芸文類聚』(624年)の
「菊」の項目に記載された故事『菊水伝説』は平安の貴族達がこよなく愛読した書物です。
『紫式部日記』には、
菊の香りを移した綿が届けられ、
それで体を拭くと若返ると添えられていたと
書かれています。
 
「China中東部・河南の麗(れき)県地方の上流には、
 菊の花がたくさん咲き、
 菊花から零れ落ちた雫・露が集まり、
 谷川となって流れている。
 この谷川沿いの三十余軒の小さな集落・
 大夭(たいよう)に暮らす人々は、
 百歳を超える長寿者が多い。
 またその水を飲んで長患いを治して
 百歳まで生きた武官がいたことから
 都でも菊の種をまくようになった」
と記されています。
 
『菊慈童』(きくじどう)
China 周の時代。
誤って王の枕を跨いだ王の寵童・慈童は、
酈縣山へ配流となる。
彼が流刑地へ続く唯一の橋を渡り終えるや、
非情にも橋を切り落とした警護の官人。
慈童は、王の形見の枕を抱きつつ、
ひとり山中に取り残されるのだった。
 
それから七百年が経った魏の時代。
酈縣山麓から霊水が湧き出たとの報せに、
勅使が現地へ派遣される。
すると、山中には一軒の庵があり、
中には一人の童子がいた。
彼こそ、かの慈童の成れの果て。
実は彼は、形見の枕に添えられた妙文を
菊の葉に書きつけ、
そこから滴る雫を飲んだことで、
不老不死の身となっていたのだ。
慈童は(妙文の功徳を勅使に説いて聞かせると)、
不老長寿の薬の酒を讃えつつ
上機嫌で舞い戯れ、妙文を勅使に捧げて
帝の安寧を言祝ぐのだった。
 
菊について
「菊」には抗菌作用があり、
「菊膾」(きくなます)や「菊酒」などに用いられます。
日本でも平安時代からは
宮中で9月9日には菊を眺める宴
「観菊の宴」が開催されたり、
「菊酒」を飲むことが定着。
 
更に日本の文化に根付いた菊は
「秋の花」として愛でられ、
菊の栽培が盛んになり、
「菊合わせ」が行われたり、
「菊人形」が生まれたりしました。
 
「重陽」を過ぎて長く咲き残る菊を
「残菊」と呼ぶのも、
日本人独自の美意識です。
 
着物、日本のパスポートの表紙、
50円硬貨のデザイン、
更に明治32(1899)年から明治41(1908)年にかけて
発行されていた切手に
菊の模様が入った種類もあり、
今では「菊切手」と言われて高値で売買されています。
 

 
 

文様

菊文

菊を様々に意匠化して使うようになったのは
江戸時代からです。
能装束などにも残されています。
菊の花や葉を写実的にデザインしたものの他、
菱形や丸と組み合わせたものなど、
菊の文様は多種多様にあります。
秋の花とされる菊ですが、
格調高い花柄なので季節を問わず用いられています。
 
狢菊

菊の花びらを狢(むじな)の毛のように、
小さく密に描いて
菊花の形として文様化したものです。
「狢」(むじな)とは穴熊の別称ですが、
地方によっては、
狸のことも狢(むじな)と言います。
狸と同じように人を化かすと言われ、
昔話にも狢は数多く登場しています。
 
乱菊

菊の花弁を大きく長くして、
乱れ咲いた様子を文様化したものです。
菊の花をより一層目立たせたい時に
効果的な意匠です。
桃山時代に入り、菊は文様として
より華やかに表現されるようになりました。
江戸時代末期の能装束や小袖には、
「乱菊文様」の図柄が多く見られます。
 
菊青海波

菊の花を青海波に見立てた文様です。
青海波は、本来は波を表現しますが、
形の面白さから、
波の代わりに菊や松、梅などの植物を
あしらうこともあります。
 
 
光琳菊(万寿菊)
菊の花の価値を丸く簡略化したもので、
寿命の長久を祝って
「万寿」の字を当てました。
丸い形が饅頭に似ていることから、
「饅頭」の字を書くこともあります。
 
江戸時代に琳派によって儀式化され、
洗練された美しさを持つことから、
一般的に「光琳菊」と呼んでいます。
 
 
菊菱
菊の花を菱形に図案化したり、
菱形の中に菊の花を詰めたものの総称です。
古くから用いられ、様々な文様と組み合わせて使われることもあります。
小さな菊菱を生地一面に散らした江戸小紋の他、家紋にも見られます。
 
菊水

流水に菊の花を浮かべた文様です。
「菊水文」は菊の群生地から流れ出た水を飲むと
寿命が伸びるというChinaの故事に因んで、
古くから延命長寿のめでたい文様として
知られてきました。
日本で文様として使われるようになったのは
鎌倉時代以降で、家紋に用いられ、
当時の武将・楠木正成の紋章でもあります。
江戸時代の能装束や小袖にも多く見られ、
「流れる菊」や「菊の遣り水」などの
風雅な名で呼ばれました。
 

   

 
菊尽くし

江戸時代になると菊の栽培が盛んになって、
菊の種類も増えました。
様々な色や形を組み合わせて構成したものが
「菊尽くし文」です。
 
菊の丸

菊の花や葉を用いて丸形に構成したもの、
または円の中に菊を配した文様です。
古くから、装束の唐衣などの文様として
用いられてきました。
現在は、きものや帯に染めや織りで
菊の丸が表現されています。
一般的には「菊」だけでなく、
松の丸や桜の丸、梅の丸などと組み合わせて
使われます。

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