鰹節(かつおぶし)

 
 
引き出物に入れる縁起物として定番中の定番、「鰹節」。
特に、結納や結婚式では、鰹節は欠かせない存在です。
 
 

縁起物「鰹節」

鰹節は、その切り口が松の木の年輪に似ていることから、
松の気高さを讃える意味で「松魚節」と呼ばれています。
また「勝魚」「勝男節」とも呼ばれて縁起が良いものとされ、
祝儀、中元、歳暮の贈り物として使われてきました。
 
特に、結納や結婚式では、鰹節は欠かせない存在です。
鰹節には、
鰹の背側の身を使って作る「雄節」(おぶし)と、
腹側の身を使って作る「雌節」(めぶし)があります。
その「雄節」と「雌節」が一対になり、
ぴったりと合わさる形になっていることから、
「鰹夫婦節」(かつおぶし)という語呂合わせもあって、
夫婦円満の意味があるのだそうです。
また、その形が亀の甲に似ていることや、
表面の黒皮、肌の笹の葉模様、先端の梅形の削りを
「松竹梅」に見立てて、
「結婚式の引出物」としてよく使われています。
 

 
「節」を「武士」にたとえて
「勝男武士」(かつおぶし)に通じるため、
元気な子に育つようにと「出産」や「端午の節句」の「内祝」に、
「勝つ魚」に由来するものとして、
「七五三」や「入学」の内祝、「快気内祝」などの贈り物として
広く使われています。
 
 

鰹節の歴史

 
鰹節が初めて登場するのは、『古事記』(712年)です。
この中で、「堅魚」(かたうお)という名前が登場します。
これは、古くから干して食されていたため、
「堅い魚」という印象だったからなのではないかという説があります。
このことから、「鰹」(かつお)と呼ばれるようになりました。
 
『養老律令』(718年)には、
「煮堅魚」、「堅魚煎汁」(かたうおいろり)とあり、
これが今日の鰹節の原形で、
特に煎汁は日本古来の調味料と呼ばれています。
 
奈良時代の『大宝律令』、平安時代の『延喜式』にも
「堅魚」「煮堅魚」「堅魚全煎汁」の記載があり、
鰹や鰹の加工品と思われるものが賦役品として、
税の対象であったと記されています。
ただこの頃は、今のような「燻乾方法」ではなく、
日に干すだけの「天日乾燥」でした。
 
古くから日本人に愛されていた「鰹節」ですが、
鰹が縁起物として扱われるようになったのは、
戦国時代だとされています。
『北条五代記』によると、
天文6年(1537年)の夏、
北条早雲の子・氏綱が小田原沖で鰹釣りを見物していると、
一匹の鰹が氏綱の船に突然飛び込んできました。
これを見た氏綱は、
「勝つ魚」が舞い込んできたと大変喜んだそうです。
その後、その船で武州の兵との戦いに出かけ大勝利を収めたため、
鰹節に語呂合わせで「勝男武士」(かつおぶし)の字を当てて、
それ以降、戦勝祝いに用いたというエピソードも知られています。
それ以降、鰹節を出陣の祝宴には欠かさず供したということです。
 
また、『武教全書詳解』によれば、
戦国時代には鰹節を兵糧として、戦陣に携帯したことが記されています。
「是を噛ば性気を助け気分を増し、飢を凌ぐ」とあります。
 
 

焙煎法

 
延宝2(1674)年、
紀州の国(現在の和歌山県)の漁師の甚太郎が
それまでの天日による乾燥から、
藁や薪を利用して煙と火熱を加えて水分を取る
「焙乾法」を考え出します。
この方法は長い間紀州の秘密にされていましたが、
後に土佐の与市によって房州・西伊豆の各地に広まりました。
 
現在、鰹節の製造工程に積極的に機械化が取り入れられていますが、
それでも完成するまでに180日間もの日数が掛かります。
鰹節は私達の遠い祖先がつくり上げた
風味豊かな優れた自然食品なのです。
 



 

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