勾玉

 
「勾玉」(まがたま)は、
古くから不思議な力が宿るとされ
魔除けや厄除け、悪霊から身を護るという
意味で身につけられてきました。
 
 

歴史

「勾玉」(まがたま)の歴史とても古く、
約1万6000年以上前の旧石器時代には
誕生していたのではないかと言われています。
 
約5000年前の縄文時代には、
既に使われていたと考えられています。
現存するものとしては、
約5000年前の縄文時代の遺跡から
発見されたものが最も古く、
弥生時代や古墳時代の遺跡からも
多く出土されています。
 
専門集団によって作られていたようで、
翡翠(ひすい)、瑪瑙(めのう)、琥珀(こはく)
水晶(すいしょう)、碧玉(緑色のメノウ)、
青銅、鼈甲(べっこう)、ガラスなど
様々な素材を用いて作られましたが、
中でも最も多く発見されているのは
「翡翠製」(ひすいせい)のものです。
これは翡翠の緑色が「生命」を意味し、
翡翠には特別な力が宿るとされていた
ためだと言われています。
 
「勾玉」は、大体、穴を開けて糸を通して
首飾りや耳飾りなどとして身に付けることで、邪気を祓う力を得るなど、
特別な力を持つと考えられ、
呪術や祭祀に使われていました。
 
そんな「勾玉」ですが、
古墳時代中期の継体天皇以降は、
なぜかは分かりませんが、
徐々に作られなくなっていきます。
仏教の伝来以降はますます衰微し、
遂にはすっかりと忘れられてしまいました。
 
ただ宮中の貴族・高官や知識人の間では、
「勾玉」はひっそりと用いられ、
江戸時代に「国学」ブームが到来すると
「勾玉」の愛好者も増えてきました。
オランダの医師シーボルトは
「勾玉」にも大変興味を持ち、
著書『日本』(Nippon)の中で
「教養ある日本人が好んで思いを馳せる
 古代の遺物のひとつに勾玉という
 宝石がある」というような記述しています。
 
また戦後の高度成長期時代には、
スピリチュアルアイテムとしてブームが到来。
現在も、パワーストーンを
「勾玉」の形にしたものを
単なるアクセサリーとしてだけではなく、
魔除けとして、開運グッズとしても人気です。
 

勾玉の語源

『古事記』 には「勾玉」、
『日本書紀』には「曲玉」と書かれています。
ということで、「曲っている玉」から来ているという説が有力です。
「勾」は曲がるの意味です。
 

「勾玉」の形の由来

「勾玉」の不思議な形は、
頭の部分が日(太陽)を、
尾の部分は月を表し、
この太陽と月が重なりあった形は
大いなる宇宙を崇拝していたとされています。
 
その他にも以下のような説があります。
月の形を模したとする説
月は満ち欠けを繰り返すことから
生命を再生する力があるとされ、
古来より月を神様として崇めていたことから、
月(三日月)の形を身に着けるようになったと
言われています。
 
魂の姿を模した説
神様や人の魂が宿ると考えられていたため。
 
胎児の形を模した説
頭が大きく足の方が小さい
胎児の形を模したというものです。
生命の始まりを意味する「胎児」は
若さや力の象徴とされており、
そのため呪術的な力が宿るとされていました。
 
動物の牙を真似した説
昔は、獣類の牙の威力を恐れたため、
それを身に着ける事によって
お守りとしたとしたようです。
 
腎臓の形を模した説
腎臓を取り出し乾燥させると勾玉の形になり、色も緑色になると言われるため。
 
釣り針の形を起源にした説
勾がった形が釣り針の形に似ているため。
 
魚の形を起源にした説
魚の形に似ているため。
 
巴形を模したとする説
コンマ(,)のような形をした
日本の伝統的な文様の一つである
「巴紋」を模したというもの。
 
玦状耳飾りの転用説
縄文時代には、
ドーナツに切れ目を入れたような
C字形の円環状の耳飾り「玦状耳飾り」
(けつじょうみみかざり)が作られており、
これが半分に割れたものを再利用した形が
勾玉の祖形と言われています。
 

三種の神器の一つ
「八尺瓊勾玉」(やさかにのまがたま)

「勾玉」は皇位継承の印である
「三種の神器」にも含まれています。
「三種の神器」の勾玉の名前は、
「八尺瓊勾玉」(やさかにのまがたま)です。
 
    <三種の神器>
  • 八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
  • 八咫鏡(やたのかがみ)
  • 天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)
    [草薙剣(くさなぎのつるぎ)
 
『古事記』天岩戸神話で、
須佐之男命(すさのおのみこと)の蛮行によって
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
岩戸に隠れてしまったため、
高天原も葦原中国も闇に包まれました。
 
困った神々は、知恵の神・思兼命(おもいかねのかみ)に相談すると、思兼命は、
鍛冶師の天津麻羅(あまつまら)に矛、
伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)に八咫鏡、
そして玉祖命に八尺瓊勾玉を作らせ、
天香山に繁る榊の枝にかけた「御幣」を
布刀玉命が奉げ持ち、 天児屋命が祝詞を唱え、
腕力の神・天手力男神が岩戸の脇に隠れて待機。
 
そこに天宇受賣命(あめのうずめのみこと)が登場して
舞い踊ると、八百万の神を大笑い。
天照大御神も扉を少し開けて、何事か尋ねると、
天宇受賣命は
「あなたより尊い神が現れた」と言い、
天児屋命と布刀玉命は天照大御神の前に
鏡を差し出します。
その姿をよく見ようと、
天照大御神が岩戸を更に開けたところを
天手力雄神が天照大御神の手を取って
岩戸の外へ引きずり出しました。
 
なお『日本書紀』では、玉祖命は
「豊玉神」と「天明玉命」とされます。
 

linderabella.hatenadiary.com

 

勾玉(まがたま)の日

 
9月6日と6月9日は、「勾玉の日」として
日本記念日協会から認定されています。
「勾玉の形」が、数字の9と6に
似ていることから決まったそうです。
出雲型勾玉を皇室や出雲大社に献上している
島根県松江市に本拠を置く「めのや」が
制定しました。
 
 
 
めのや」は、明治34(1901)年に
初代・新宮福次郎が島根県玉造温泉にて
創業したメノウ細工店「しんぐうめのう店」を
前身としています。
大正時代からは、代々皇室や出雲大社
大切な儀式で使用される勾玉「出雲型勾玉」を献上しています。
 
 
「出雲型勾玉」
 
松江市玉湯町の温泉郷「玉造」近辺には、
「碧玉」(へきぎょく)と呼ばれる青石や
赤・白の瑪瑙を産出する花仙山(かせんざん)があり
古代玉作りの工房跡や遺物が数多く発見されて
います。
「玉造」の地名もそのことに由来しています。
 
出雲では、弥生時代に「勾玉」作りが始まり、
古墳時代後期には全国でほぼ独占していたと
言われています。
それが平安時代には廃れてしまい、
その後約900年に渡り途絶えていました。
 
ところが江戸時代の末、
出雲地方の湯町村に住んでいた伊藤仙衛門が
「若狭めのう細工」で栄えた若狭国遠敷村
(現・福井県小浜市)を訪れて技術を学んだ他、
若狭から瑪瑙職人を招いて技術を伝えると、
天保4(1833)年頃には、出雲に勾玉造りの技術が蘇り、「出雲型勾玉」は現代に受け継がれています。
 

まが玉祭り

神奈川県伊勢原市にある比々多神社では、
毎年5月の第3土・日曜日に
まが玉祭り」を行っています。
 
比々多神社では、御祭神の一柱として、
「天明玉命」(あめのあかるたまのみこと)
(『古事記』では「玉祖命」(たまのおやのみこと))が
祀られています。
「玉祖命」は、『古事記』天岩戸神話で
岩戸から天照大神を出すために
三種の神器の1つ「八尺瓊勾玉」を作った
玉造部の祖神(おやがみ)で、
天孫(邇邇藝命(ににぎのみこと))と共に
五伴緒(いつとものおのかみ)の一柱として
降臨しました。
 
この「玉祖命」を称え、「日本古来の伝統文化、
芸術を次世代に継承しよう」という目的で
昭和62年から「まが玉祭り」が始まりました。