団扇(うちわ)

 
 
「うちわ」は漢字で「団扇」と書きます。
「団」は丸い物を表現する漢字です。
「扇」は風をあおぐ(扇ぐ)という意味です。
「あおぐ」「あおぐ」・・・「おうぎ」・・・っとなったそうです。
団扇(うちわ)には、
扇いで風を起こし、神の気配を強める働きがあります。
 
団扇(うちわ)の原型は「翳」(さしば)というもので、
日本には古墳時代に中国から伝えられたと言われています。
その当時の物は、今の形よりも柄の部分が長かったようです。
十世紀頃になり、小型の翳を団扇と呼ぶようになりました。
但し、当時の使い方は扇ぐというよりも、
位の高い人物が自身の顔を隠したり、
虫を追い払う道具として使っていました。
 

 
唐招提寺の団扇(うちわ)撒きは、
梵網会の法要の時に
餅まきの様に鼓楼(ころう)から撒かれるものです。
ハート型のこの団扇(うちわ)には、
厄除け、火難、虫除けなどのご利益があると言われます。
神輿担ぎや盆踊りにも団扇(うちわ)はつきものですが、
これも神の力を奮い立たせ、災難を祓う意味合いがあります。
 
室町時代に入ると、竹と和紙を使って製造するようになり、
飛躍的に送風力が上がったと言われています。
 
戦国時代には、武将や軍師が用いて、
軍神の力を乞うたものに「軍配団扇」があり、
これが今日では、相撲の行事が持つ軍配として残っています。
 

   

 
江戸時代になり庶民に広まったことで、
団扇の使われ方が大きく変わりました。
扇いで暑さをしのいだり、炊事の火起しなど、
日常の道具として使われました。
また浮世絵や俳諧、和歌、漢詩などを印刷したものが量産され、
団扇を見て楽しむという使い方も新しく加わりました。
その一方、威厳を正す用途でも変わりなく使われ、
高名な絵師によって絵が描かれた芸術品も多く生まれています。
 

 
 

日本の「三大有名うちわ」

京団扇(都うちわ)

 
京うちわは「都うちわ」とも呼ばれ、
宮廷でも用いられた極めて優美なものです。
「差し柄」と呼ばれる製法は、
地紙面と把手を別に作る方法で、
京うちわの大きな特徴になっています。
京うちわの構造は朝鮮うちわの流れを汲むもので、
沢山の竹製の細い骨によって地紙が支えられています。
 
 

讃岐うちわ(丸亀うちわ)

 
金毘羅参拝の土産物として名高い
「丸金」印入りの渋うちわが丸亀で作られ、
また、天明年間(1781~1789年)には、
丸亀藩江戸詰大目付瀬山登が
丸亀藩の下級武士の内職として大いに奨励したことが、
丸亀におけるうちわ作りの基礎となったとされています。
丸亀におけるうちわの生産は、
全国のうちわ生産量の約90%を占めています。
丸亀うちわの特徴は、
柄と骨が一本の竹で作られているものが多いことで、
古くから
「伊予竹に 土佐紙貼りて あわ(阿波)ぐれば
 讃岐うちわで 至極(四国)涼しい」と謡われているように
讃岐の特産として名を馳せているところです。
 
 

房州うちわ

 
持つ所が丸い竹で出来ているうちわを
「房州うちわ」と言います。
その多くは舟形と那古で生産され、
明治23年、那古に住む忍足信太郎さんが
「割ぎ竹」(さぎだけ)の加工を内職として手掛けたのが
房州でのうちわづくりの始まりです。
それまでは、丸竹のまま
うちわの材料として東京の問屋に出荷されていました。
明治30年になって、
同じ町に住む岩城庄吉さんが本格的に「割ぎ竹」の加工を始め、
大量の加工品を出荷するようになり、
大正の初めには
「マド」と呼ばれるうちわの骨づくりまでの加工が
出来るようになりました。
  

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