古事記
鵜葺草葺不合命の誕生
山幸彦(火遠理命 )が兄の海幸彦に勝利し、
この世界を統治するようになって間もない頃、
妻の豊玉毘売 がやって来ました。
「火遠理命 の御子を身籠り、臨月を迎えました。
しかし、天津神の御子を海原で産む訳にはいきませんので、
こうして出向いて参りました。」
慌てた火遠理命 は
海辺にあった鵜の羽を葺草 の代わりにして、
急ごしらえの産屋を作りましたが、
まだそれが葺き終わらないうちに、陣痛が始まりました。
耐えられなくなった豊玉毘売 は産屋に入り、
「異郷の者は、子を産む時には本来の姿に戻ります。
お願いですから、私を見ないで下さい。」と申し上げました。
ところが好奇心に勝てなかった火遠理命 は、
産屋を覗き見てしまいます。
するとそこには、
「私はこれからも海の道を通って、
多くの臣民と共に行き来しようと思っていましたが、
私の姿を覗き見られてしまったので、それはもう叶いません。」
そう言って、生まれた御子を置いて海に帰り、
海と陸の境を堰き止めてしまいました。
この時に生まれた御子の名は、
「鵜の羽で産屋を葺く間もなくお生まれになった高貴なる天孫」
という意味です。
鵜葺草葺不合命と玉依毘売
その後も火遠理命 を恋しく思う心に耐えられず、
その御子を養育させるという理由で、妹の玉依毘売 を遣わしました。
後に、鵜葺草葺不合命 は玉依毘売 と結婚して
四人の御子(五瀬命 ・稲氷命 ・御毛沼命 ・若御毛沼命 )を
もうけました。
この末子の若御毛沼命 (豊御毛沼命 )こそが、
後に初代・神武天皇となる「神倭伊波礼毘古命 」です。
長兄の五瀬命 は神武天皇とともに九州から東征し、
紀伊で没したと言われています。
また、御毛沼命 は常世の国に渡り住み、