鹿ヶ谷かぼちゃ供養

毎年「夏の土用」の7月25日には、
京都市左京区の鹿ヶ谷の安楽寺では、
「中風まじない鹿ヶ谷かぼちゃ供養」が
行われています。
 
 

鹿ケ谷南瓜(ししがたにかぼちゃ)

 

 

 
「鹿ヶ谷南瓜」(ししがたにかぼちゃ)は、
寛政年間(1789-1801)の始めに
洛東粟田村に住んでいた
玉屋藤四郎(たまやとうしろう)
津軽に旅行した際に、
土着の南瓜の種をお土産に持ち帰りました。
それを鹿ヶ谷の農夫・庄米兵衛に渡し、
栽培してもらったところ、突然変異して、
瓢箪の形になったと言われています。
 
それ以来、鹿ケ谷ではこの南瓜が
作られるようになり、
「おかぼ」と呼ばれて親しまれてきました。
現在は、西洋品種の栗南瓜に圧され、
極僅かしか作られなくなってしまいました。
 
夏の7月中旬頃から8月中旬頃に収穫され、
食べ頃の旬は8月中旬から9月中旬頃です。
 
 
「鹿ケ谷南瓜」は、あっさりした味わいをし、
肉質はきめ細かく、ねっとりした食感で、
煮てもその形が煮崩れないのが特徴です。
煮付けやてんぷらで食べられています。
完熟すると黄褐色になることや、
ユニークな形をあることを活用して
料理の盛りつけ器、床の飾り、画材などにも
利用されています。
 

鹿ヶ谷かぼちゃ供養


「中風まじない鹿ヶ谷かぼちゃ供養」とは、
「夏の土用」にカボチャを食べれば
「中風」に罹らないという言い伝えから、
煮炊きされた鹿ヶ谷南瓜を参拝客に振る舞い、中風にならないよう祈願する祭りです。
寺宝も一般公開されます。
 
「中風」(ちゅうふう、ちゅうぶ)
現在では脳血管障害の後遺症である半身不随、
片麻痺、言語障害、手足の痺れや麻痺などを
指します。
 
由来
江戸中期に、当時「安楽寺」の住職であった
真空益随(しんくうえきずい)上人が、
本堂で修行中、御本尊阿弥陀如来から、
「夏の土用の頃に、当地の鹿ヶ谷南瓜を
 振る舞えば中風にならない」という
霊告を受け、7月25日に供養日を定め、
鹿ヶ谷南瓜を仏前に供えて供養したのが
始まりです。
 

住蓮山安楽寺

住蓮山安楽寺は京都左京区鹿ヶ谷にあります。
 
浄土宗の開祖・法然上人の弟子、
住蓮(じゅうれん)上人と安楽上人が
「鹿ヶ谷草庵」を結び、
布教活動の拠点を持ったのが始まりです。
 
両上人が称える礼讃が素晴らしかったことから
出家を希望する人も多く、その中に、
後鳥羽上皇の女官、松虫姫と鈴虫姫も
おられました。
ところがこの事を知った上皇は激怒し、
念仏の教えを説く僧侶を弾圧。
両上人は斬首、法然上人は讃岐国、
親鸞聖人は越後国に流罪します。
いわゆる「建永(承元)の法難」です。
 
両姫は瀬戸内海に浮かぶ生口島の光明防で
念仏三昧の余生を送り、松虫姫は35歳、
鈴虫姫は45歳で往生を遂げたと伝えられて
います。
 
両上人の亡き後、
「鹿ヶ谷草庵」は荒廃しましたが、
流罪地から帰京された法然上人が
両上人の菩堤を弔うために
草庵を復興するように命ぜられ
「住蓮山安楽寺」と名付けられました。