辻占煎餅(つじうらせんべい)

 

米国の中華料理店で貰える「フォーチュンクッキー」。
これは、江戸や大阪など都市部で作られた瓦煎餅の
「辻占煎餅」から派生したものです。
 
 

辻占煎餅とは

「辻占」とは、
お祭りや市の日に辻(交差点)に立つおみくじのことで、
江戸時代に流行しました。
 
「辻占い煎餅」は、
そのおみくじを小さな紙片にして、煎餅の中に入れたものです。
中に挟んだ紙片には、
大吉小吉などの吉凶や、一言文句、おめでたいことわざ、
流行り歌の歌詞などがあり多種多様。
人々は偶然に出てくる言葉の面白さや鋭さに魅了され、
煎餅の他に、「辻占豆」や「昆布」、「飴」など
各種の辻占菓子が流行しました。
 
特に、恋にまつわる文句も多いことから「恋の辻占」と呼ばれ、
辻占売りが夜の花街や繁華街を売り歩いたものでした。
 
石川県の金沢市には、
正月に様々な色合いの辻占煎餅を縁起物として楽しむ風習があり、
現在も和菓子店における辻占の製作風景は、
年末恒例の風物詩となっています。
 

 

辻占(つじうら)

かつて、四つ辻や橋のたもとは、
神の世界(異界)への境界にあり、神も通る場所と言われました。
そこでの会話には、神の託宣(たくせん)が宿ると考えられたことから、
「辻占」は誕生しました。
 
 
「辻占」は、黄楊(つげ)の櫛を持って夕刻の辻に立ち、
「道祖神」(どうそしん)に祈りながら歌を誦し、
散米し櫛歯を鳴らすなどした後、
最初に通りかかかった人の言語で吉凶を判断するというものでした。
 
 

フォーチュンクッキー

その「辻占煎餅」は、明治期にアメリカ西海岸に渡り、
(なぜか)中華菓子「フォーチュンクッキー」として定着しました。
 
サンフランシスコにあるゴールデンゲーパーク内に日本庭園で
1910年頃、公園管理を任されていた実業家の荻原誠氏が、
園内のお茶屋のサービスとして、「辻占煎餅」を焼き始めました。
その後、サンフランシスコ市内の和菓子屋において
「辻占煎餅」は日本に先駆けて大量機械生産されました。
 
ところが、第二次大戦期の日本人の強制移動・収容​政策により、
日本人は土地を追われます。
代わって、China系移民がそれを作り、
自らの中華料理店でサービスし始めたことにより、
「辻占煎餅」が、
中華菓子の「フォーチュンクッキー」と信じられるようになりました。
 
 

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