赤飯

 

 
「赤飯」とは、
もち米に「小豆」または「ささげ豆」を混ぜて蒸したごはんで、
おめでたい席で食される、
日本人のお祝い事には欠かせない伝統的な料理です。
 
 

お赤飯の歴史

「お赤飯」を調べてみると、
その昔は小豆やささげを入れたご飯ではなく、
「赤米」を蒸したものだったようです。
 
日本では、
古くから赤い色には邪気を祓う力があると考えられており、
加えてお米が高級な食べ物であったことから、
神様に「赤米」を炊いて供える慣習がありました。
そのお下がりを人々が食べていたのが「赤飯」の起源として有力です。
 

 
平安中期の『枕草子』には、
「お赤飯」の原形として「あずき粥」が登場しています。
また、鎌倉時代後期の宮中の献立を記した『厨事類記』には、
3月3日上巳の節供、5月5日端午の節供、9月9日重陽の節供など、
季節の節目に食べた行事食だという記録があります。
祝儀用となったのは室町時代です。
 

 
一般庶民のハレの日の食卓にまで広まったのは、
江戸時代後期のことです。
庶民の多くは「赤米」を江戸時代になる前頃まで食べていましたが、
稲作技術の発展による品種改良で、
味が良く、収量が安定する現在のお米「ジャポニカ種」に
変わっていきました。
しかし、赤い色のご飯を供える風習は根強く残っていたので、
江戸時代中期の頃、代用品として白いお米を小豆で色づけしたものが
「お赤飯」(あるいは小豆飯)として広まったと考えられます。
 
「江戸病」とも言われた
ビタミンB1の不足による「脚気」を予防するために、
「お赤飯」や「小豆飯」を頻繁に食したようです。
当時から庶民の間に健康に良いとされていたことも 「お赤飯」が広まり、
現代まで残った理由の一つと考えられます。
 

赤米

 
今からおよそ2500年前の縄文時代の終わり頃、
日本に最初に伝わって来た時の米は、
白米でなく、米の表面が赤い色をした「赤米」だと言われています。
「赤米」は、
赤米は冷害に強い上、干ばつや病気にも強かったので、
奈良時代になってから白米が増えていっても、
江戸時代あたりまでは、全国でかなり作られていました。
たとえば、江戸時代の九州では30~50%は赤米でした。
 
 

小豆パワー

 
「小豆」は煮ると煮汁が赤く色付きます。
赤飯は、その煮汁をもち米に吸収させて蒸すので、
小豆色に染まるのです。
この煮汁の中には、
小豆のポリフェノールなど体に嬉しい成分が含まれています。
赤飯は、煮汁がしっかりと吸収されているため、
小豆の栄養分を余すところなくいただくことが出来る
食べ方なのです。
 
 

お赤飯に飾る南天の葉

 
「難(なん)を転(てん)じる」という語呂合わせから、
「南天」は縁起の良い木と言われています。
 
南天の葉は防腐作用があるとされ、
縁起や厄除けの意味合いの他に、
安心・安全に対して
先人の経験と知恵によって習慣化されたと考えられています。
 
井原西鶴『好色一代女』の中に、
「大重箱に南天を敷き、赤飯山のやうに詰めて…」とあり、
当時からお赤飯と南天はセットだったようです。
 

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