羽子板

 
「羽子板」は、女の子の初正月を祝い、
無事成長することを願うための「大切なお守り」です。
 
 

羽子板とは

 
「羽子板」は、
女の子の赤ちゃんが初めて迎えるお正月に
その子だけの「お守り」として贈られます。
旧暦の12月から1月の間は
十二支による暦の上で
「丑・寅」、つまり「鬼門」の時期であり、
その時期を生命力の弱い赤ちゃんが
無事に通過出来るようにという願いが込められているそうです。
 
羽子板の板の形が縁起の良い「末広がり」なのも、
「その年の末(先)が広がって(発展して)いきますように」という
願いが込められているのです。
 
昔からの伝承によって、
諸々の邪気をはね(羽根)除けて、
健やかに育つようにとの願いが込められている羽子板。
これからも末永く飾っていただきたい、
由緒ある日本の伝統の工芸品です。
 

羽子板の歴史

羽子板の歴史は、7世紀頃から宮中で行われていた
「毬杖(ぎっちょう)遊び」が起源とも言われています。
これは先がヘラのような形をした「毬杖」という杖で
(まり)を打ち合う遊びです。
この杖が変化して羽子板になったと考えられています。
 
これが室町時代になると、羽根つき遊びになって来ています。
『下学集』(文安元(1444)年)という室町時代中頃の辞書の中には、
「羽子板 正月ニ用ユ之」とあります。
室町時代に宮中で「羽根つき」をしていたのは、
羽子板で羽根をつくことで
「邪気をはね(羽根)除ける」と言う意味があったからだと言います。
 

 
当時、羽子板に描かれていた絵柄も
「松竹梅」などの縁起物や、
邪気除けとなるものが多かったようです。
そんな中、特に好まれた絵柄が「左義長」(さぎちょう)です。
「左義長」は当時の宮中の正月の儀式で、
悪を追い払う行事でした。
「厄災除け」の意味を持った羽子板が
羽根つき遊びの道具ではなく、
お正月に飾られるようになったのも室町時代です。
 
江戸時代の後期には、現在の原型とも言える押絵と言う技法が確立し、
歌舞伎役者の舞台姿を押絵で仕上げて取り付けた
「飾り羽子板」が登場し、
一段と華麗さを増して、庶民の人気を集めるようになりました。
 
昭和に入ると、美人画が多く描かれるようになり、
衣裳もあでやかに、華やかになっていきました。
また、ケース入りの羽子板が登場し、
女の子の初正月の飾り物として広く用いられるようになりました。
 

「無患子」(むくろじ)

 
「無患子」(むくろじ)とは、
羽子板でつく羽根の先には玉のことです。
あの黒い玉の正体は、「むくろじ」と言う大木の種です。
この黒くて硬い玉にも「無病息災の願い」が込められています。
「無患子」という名前の通り、
「子が患うことの無いように」という意味として、
「女の子のお守り」の意味を持つようになったのです。
 
他に、「羽根」が飛ぶ様子が
病気を運ぶ蚊を食べるトンボに似ていることから、
子供が蚊に刺されないように、
病気にならないようにとの願いも込められています。