「初正月」(はつしょうがつ)とは、
誕生して初めて迎えるお正月を言います。
最近では「初正月」を派手に祝わなくなりましたが、
昔は正月を迎える毎に
一つ年を取るという「数え年」でしたので
赤ちゃんが初めて歳を重ねる祝いとして、
特別な意味を持っていました。
現在の「満年齢」が
日本に公式に導入されたのは明治6(1873)年ですが、
実際には昭和24(1949)年頃までは
「数え年」が普通に用いられていたので、
その当時までは、「元日=誕生日」でした。
従って、生後初めて正月を迎える「初正月」は、
赤ちゃんにとって「初めての誕生日」であり、
家族にとって「赤ちゃんが一年間無事に育った」という、
とても意味深いものでした。
祖父母や伯父伯母、仲人など、両親に近い人が
男の子には「破魔弓」「破魔矢」を、
女の子には「羽子板」を贈り、
初正月にいただいた「破魔弓」「破魔矢」や「羽子板」を飾って、
赤ちゃんの無病息災を祈り、家族揃ってお祝いをします。
「破魔弓」「破魔矢」や「羽子板」は、
毎年12月13日の「事始め」の頃に飾り、
年が明けた1月15日の「小正月」の頃に仕舞うのが一般的です。
「破魔弓」「破魔矢」や「羽子板」が
子供の邪気から守るお守りの役目を果たしているので、
1年中飾っておいた方が良いという地方もあります。
また、「雛人形」や「五月人形」の脇飾りとして飾ってもいいでしょう。
「初詣」にも、可能な限り連れて行ってあげましょう。
但し、多くの人で混雑する神社やお寺は避けて下さい。
近くの氏神様にお参りして、
赤ちゃんの健やかな成長を祈願するのが一番です。
男の子の初正月祝い
男の子の「初正月」は
「破魔弓」や「破魔矢」を飾ってお祝いをします。
その歴史は、鎌倉時代とも江戸時代とも言われ、
武家に男の子が誕生すると、立派な武士になるように祈願して、
古くから「破魔弓」や「破魔矢」を贈る風習がありました。
「破魔弓」「破魔矢」
「弓」「矢」「靭」(うつぼ)一式がセットになったものが
一般的です。
実際に弓を射て遊んでいた時代もありましたが、
贈答品として使われるようになると、
装飾的な要素が加えられて、
現在のような豪華で美しいものになりました。
「破魔矢」には「魔を射る」ということで、
様々な邪気から身を守る力があり、無病息災を祈るお守りです。
お正月だけでなく、
新築する際の「棟上げ式」の時に供える習慣もあります。
「破魔矢」だけでなく、
お正月遊びの一つ「凧あげ」をしてお祝いをする地方もあります。
また、学問の神様として親しまれている
「天神様」の人形や座像、掛け軸などを贈り、
学問成就を祈願する風習もあります。
女の子の初正月祝い
女の子の初正月は、羽子板を飾ってお祝いします。
お正月の羽根つきは、
江戸時代から女の子の間で親しまれてきた遊びです。
羽子板は女の子の魔除けのお守りとされ、
当時の大名や公家の間で
女の子の初正月のお祝いとして贈る習わしがありました。
それが町人にも広まり、現代まで受け継がれています。
「羽子板」
「羽子板」も羽根を突いて厄落としをしたのが
起源と言われています。
羽根のついた黒い玉は
「子が患わない」と書いて「無患子」(むくろじ)と読む大木の種で、
「子供が患わない」から、赤ちゃんの無病息災に通じます。
また、羽根の形が蚊を食べるトンボに似ていることから、
蚊に刺されない、
つまり子供が病気に罹らないようにとの願いも込められています。
羽子板市
毎年、浅草の浅草寺境内では、
「羽子板市」が行われています。
羽子板市が始まったのは江戸初期の頃です。
当時は、歌舞伎の人気役者の姿が描かれた羽子板が
人気を集め、
年末になると江戸のあちこちで羽子板市が立ち、
江戸の名物にもなっていました。
江戸後期になると、
綿を布でくるんで立体的な絵柄にした
「押絵羽子板」が作られ始め、
役者の似顔絵の付いたものが人気でした。