鯨(くじら)

日本は海に囲まれた島国であり、
日本人は、海の幸を重要な資源として、
古来から活用してきました。
 
特に「鯨」(くじら)は、
捕鯨を通じて信仰が生まれ、
唄や踊り、伝統工芸から食文化まで、
多くの「鯨文化」が実を結び、
現代に伝承されています。

 
 

鯨の産地

「鯨肉」(げいにく)の主な消費国は、
アイスランド、ノルウェー、日本の3カ国です。
その他にもアメリカやロシア、
デンマーク領グリーンランドの先住民、
セントビンセント・グレナディーンや
インドネシアにも鯨を食べる文化があります。
日本近海は、親潮と黒潮が合流するため、
多くの魚が集まり、それを追いかけて
たくさんの鯨もやってきていました。
約40種類程の鯨類が生息していると
言われてます。
 
現在、日本の捕鯨基地は4ヶ所のみです。
  • 北海道網走港
  • 宮城県鮎川港
  • 千葉県和田港
  • 和歌山県太地港
 

鯨の名前の由来

「クジラ」の名前の由来は、
『古事記』には「久治良」、
『万葉集』には「鯨魚」「不知魚」などという白黒色の、得体の知れない大きな生き物を
指す名が登場しています。
 
「クジラ」の語源にはいくつかあります。
江戸時代の新井白石は、
鯨の体表は色の「黒」いものが多く、
その中の肉は「白」いのものが多いことから、
古語で黒色は「ク」、白色は「シラ」と言い、
繋げた「黒白」は「クシラ」が訛って
「クジラ」と呼ぶようになったとしました。
 
その他には、クジラの口が広いので、
「口広」が訛ったとする説もあります。
 
なお、漢字表記の「鯨」は、
古来、クジラは哺乳類ではなく
「魚」と思われていたため、
「魚へん」が使用されています。
 
(つくり)の「京」には、
「高い丘」という意味がある他、
「京」が「大きい」を表す
記号の一つでもあったことから、
「丘のように高くて大きい魚」という意味で
この漢字が当てられました。
 
またクジラは「イサナ」とも呼ばれ、
漢字では「勇魚」「不知魚」「伊佐魚」などと
書き表してもいました。
 
 

捕鯨の歴史

日本における捕鯨文化は
縄文時代から始まったとされています。
初めは弱ったりして海岸に漂着した
「寄り鯨」(よりくじら)
食用として利用しました。
また、鯨の骨を使って作られた
土器や骨を加工して作った道具や
装飾品などが多数発見されています。
 
日本最古の歴史書『古事記』の中にも
「鯨」が登場します。
 
中巻の神武天皇の条に、
宇陀の高城にシギを獲る罠をしかけたが、
シギはかからず、クヂラがかかった。
古女房が欲しがったら、肉の少ないところを、
若い女房が欲しがったら、肉の多いところを
たくさんやれという歌謡が載っています。
これは、戦いの後の宴会で歌われた歌で、
歌詞中の「クヂラ」は、
猛禽類の鳥の鷹である(百済では鷹をクチといったということから)とする説と、
海にいる鯨であるとする説があります。
 
 
飛鳥時代に仏教の思想が日本に伝わると、
一般に肉食の文化が禁止となりますが、
鯨は魚とみなされていたため、
貴重な食材として取り扱われ、
江戸初期までは饗応料理や献上品として
用いられていたことが当時の文献などから
分かっています。
 
 
江戸時代になると、
鯨を専門的に捕まえる集団「鯨組」による
組織的な捕鯨が始まり、
その後「網取り式捕鯨」と呼ばれる
効率的な漁法が開発されると、
鯨の供給量は飛躍的に上がります。
庶民の食卓にも載るようになり、
各地に「鯨食文化」が根付いていきました。
 
 
日本各地にある捕鯨地では、
鯨の墓などで供養を行うようになったり、
唄や踊りなど鯨に関する芸能も発展して
いきました。
 
江戸時代後期から明治初期にかけて、
鯨の肉を食べない欧米でも、
照明用の油を取るためだけに鯨を乱獲していたため、日本近海のクジラ資源が激減し、
日本の捕鯨は一時衰退してしまいます。
 
 
ただ明治後期の明治33(1900)年に、
「ノルウェー式捕鯨」が導入されたことから、
日本の捕鯨は再び活気づきました。
これが日本における「近代捕鯨」の始まりで、
山口県下関市は「近代捕鯨発祥の地」です。
 
その後、油を取っていただけの欧米諸国は
不採算から捕鯨から撤退していくと、
日本にも「商業捕鯨」から撤退するよう
圧力が次第に大きくなったことから、
昭和61(1986)年に「商業捕鯨」を停止し、
「調査捕鯨」と一部の地域での
捕鯨・イルカ漁だけを行っています。
 
令和元(2019)年6月30日をもって
「国際捕鯨委員会(IWC)」を脱退し、
同年7月1日から
日本の領海と排他的経済水域の内で
大型鯨類を対象とした捕鯨業を再開しました。
 

信仰の対象として

鯨神社、鯨寺
捕鯨が行われた地方には、
鯨墓、鯨塚などが建立されています。
鯨に纏わる神社(俗称「鯨神社」)もあります。
多くは鯨の骨などが御神体になっていたり、
捕鯨行為自体を神事としている神社なども
あります。
また鯨を供養した寺(俗称「鯨寺」)もあり、
1頭ずつ戒名をつけて法要を行い、
過去帳に記録する寺があります。
「鯨」が神聖なものとして扱われていたのです。
 
クジラと恵比寿様
日本では古くから
「寄り鯨の到来で、七浦が潤う」
(浅瀬に迷い込んだ鯨一頭で
 七つの漁村の暮らしが潤う)と言われ、
「鯨」は、漁業の神である「恵比寿様」と
同一視されていました。
日本各地で鯨は「えびす」と呼ばれ
「恵比寿様は鯨の化身」と考えられていたのです。
  
 

日本の鯨食文化

 
四方を海に囲まれた日本では、
少なくとも縄文時代より「鯨」を
重要な食料資源として利用してきました。
飛鳥時代に仏教が伝来し肉食が禁止されると、貴重な動物性タンパク源となりました。
 
江戸時代になり、鯨の供給量が上がります。
当時は生肉類の保存技術がなかったため、
赤肉や皮類は「塩蔵」して
全国の消費地へと出荷され、
内臓類等は主に産地で消費されていました。
また庶民の食べ物となり、
各地に鯨食文化が根付いていきます。
例えば江戸では、
年末12月13日の「煤払い」の後に
塩蔵した鯨の皮の入った「鯨汁」を食べることが庶民の慣習となっていたようです。
江戸時代後期に出版された『鯨肉調味方』には70にも上る鯨の部位毎の料理法が紹介されて
います。
 
明治以降も「近代捕鯨」が導入され、
鯨食文化は途絶えることなく継承されます。
敗戦後の食糧難の時代、日本人を栄養面から救ったのも「鯨」でした。
「鯨肉」は栄養価の高い安価な食材として
庶民の食生活を支え、学校給食でも
「鯨の立田揚げ」は子供達の健康を育む
重要なメニューとして供されてきました。
 
 
商業捕鯨停止により、「鯨」は
日常の食卓から遠ざかってしまいましたが、
関西の「関東煮」(かんとだき)や「はりはり鍋」、
道南、東北、新潟での「くじら汁」など、
今でも全国各地に独自の食文化が
脈々と受け継がれています。
 
鯨肉は健康食
 
「鯨肉」は、午肉・豚肉・鶏肉などに比べ、
低カロリー、低脂質、低コレステロールの
非常にヘルシーな食品です。
 
ビタミンAが豊富に含まれているのを始め、
高たんぱく、高鉄分(ミオグロビン鉄)。
血液サラサラ作用がある「IPA」や、
「DHA」「EPA」「DPA」を多く含み、
生活習慣病予防が期待出来る食品です。
 
アレルゲンが少なく、アレルギーの食事療法をしている方の重要なタンパク源としてもおすすめです。
 
最新の研究で、鯨の肉には「抗疲労機能」を
持つアミノ酸「バレニン」が大量に含まれて
いることが判明しました。
筋肉耐久力アップ、疲労防止・回復、
抗酸化・活性酸素の除去といった効果が
報告されています。
 

クジラの部位から作られた
加工品の一例

日本では「鯨」は古くから、食文化のみならず
伝統芸能・工芸などとの関わりも深くあります。
例えば、鯨の「髭」は、
人形浄瑠璃の微妙な人形操作に活用し、
「歯や骨」などは装飾品に加工するなど、
余すところなく活用していました。
 
ヒゲクジラ類 釣竿の先、靴べら、
文楽人形のバネ
軟骨(かぶら) 松浦づけ
骨・皮 石鹸、グリセリン、
硬化油
ハクジラ類 脳油 機械油
靴べら、パイプ、
印材、細工物
軟骨 ゼラチン、印画紙、
フィルム、フィルム薬のカプセル
干筋(すじ) ラケットのネット
骨・皮 クリーム、口紅、
クレヨン、鉛筆の芯、
無水石鹸
ヒゲクジラ類
ハクジラ類
共通の加工品
肥料、飼料
肝臓 肝油
脳下垂体・
甲状腺・膵臓
ホルモン剤
 

くじらの日

9月4日は「くじらの日」です。
「鯨(くじら)と日本人の共生を考える日」
「9(く)4(じら)」の語呂合わせで
この日に制定しました。
同研究所では、水産資源の適切な管理・利用の目的で、鯨を始めとする海産哺乳類の研究・調査などを行っています。