日本の夏の風物詩「金魚」は、縁起の良い魚です。
金魚を飼うだけでなく、
金魚をモチーフにしたお守り、金魚グッズなどを携帯したり、
絵や写真を見るだけでも効果があると言われています。
歴史
金魚の起源は、
約1700年前(西暦265年~419年)の古代China(晋)の南部。
フナの突然変異である赤いフナ(緋鮒・ヒブナ)が発見され、
そのヒブナが金魚の祖先だと言われています。
フナにもいくつもの種類がありますが、
近年の研究で中国にいる「チイ」という鮒の一種が
金魚のルーツであると特定されたそうです。
日本にいつ入ってきたのかについては諸説ありますが、
室町時代中期の文亀二年(1502年)に大阪の堺に伝来したとする説が、
現在では一般的です。
その名も「こがねうを」とか「きんぎよ」と呼ばれていました。
江戸時代初頭には、
長崎や堺から京坂地方にだんだんと入っていったようです。
庶民の間でも楽しめるようになったのは、
江戸時代の終わり頃と言われています。
養殖されるようになって値段が下がり、
金魚の模様が着物や絵に描かれたり、
金魚売りは夏の風物詩になりました。
Chinaではその後、金魚の形態の珍しさが重宝され、
「でめきん」がもてはやされましたが、
日本では異なった道を辿り、
江戸時代の日本において「でめきん」は現れず、
見向きもされませんでした。
「金魚」の名前の由来
どう見ても金色ではないのに「金魚」。
英語名も「goldfish」。
日本では昔から金運をもたらしてくれるものと信じられ、
Chinaでは金魚は「チンユイ」と呼ばれています。
この「チンユイ」は
「お金が余る」という言葉を意味する「金余」も
このような発音をします。
「お金が余る」とかけて、
やはり縁起の良いものとして知られています。
金運アップのための金魚の色と数は(風水)
- 金魚の数:1匹、6匹、7匹が最も良いとされています。
- 金魚の色:白か黒の金魚(赤い金魚)
- リビングのような人が集まる部屋に置く
- 太陽の光が入る場所に置く
- 金魚鉢のそばに観葉植物を置く
- 金魚鉢の中にビー玉を入れておく
- こまめに掃除する
赤い金魚
日本人の間で「赤い金魚」が好まれるようになったのには
「魔除け」の意味があったためです。
鮮やかな赤い色には強い呪力があり、
病魔、災厄を退散させるという、
赤い色への信仰は全国的な支持を受けていました。
江戸時代、「赤物」は蔓延していた
疱瘡(天然痘)に罹らないための「護符」として
子供達に持たせていました。
「金魚ねぷた」にも
魔除けになると考えられていた「赤物」の名残りが伺えます。
金魚の種類
![]() |
「和金」(わきん)
金魚すくいでお馴染みの種類。
10年以上生きることも。
|
![]() |
「琉金」(りゅうきん)
ひれが長く、優雅。飼いやすい。
|
![]() |
「黒出目金」(くろでめきん)
大きい目が飛び出ている。
|
![]() |
「ランチョウ」
背びれがない。金魚の王様。高級金魚。
|
![]() |
「オランダシシガシラ」
ひれが長く、華やか。金魚の女王。こぶがある。
|
幕末に生まれた金魚の三大産地
金魚文化は江戸だけでなく、
幕末までには地方へも浸透していきました。
- 弥富金魚(愛知県弥富市)
- 江戸川区(東京都・船堀駅周辺)
- 大和郡山市
大和郡山に金魚が移植されたのは18世紀になってからです。
大和郡山の金魚は、
柳沢吉里(柳沢吉保の子・大和郡山藩初代藩主)の
家臣・横田文兵衛が、
亨保九(1724)年に、藩主柳沢吉里の国替えに際して、
旧領地の甲府から郡山へ金魚を持参したのが最初でした。
横田は金魚の飼育に長じており、
温暖な土地柄の郡山で金魚の養殖に成功。
同藩家臣の間で金魚飼育が次第に広まりました。
大和郡山市では毎年、
「全国金魚すくい選手権大会」が開催されています。
|