鳴門柑(なるとかん)

 
 
「鳴門柑」(なるとかん)とは、
兵庫県淡路島の特産のみかんのことです。
 
 

幻の柑橘「鳴門柑」

 
 
「鳴門柑」(なるとかん)は、
兵庫県淡路島特産の晩生柑橘です。
 
「鳴門オレンジ」や「鳴門みかん」、
「阿波蜜柑」「淡路島なるとオレンジ」など、
複数の呼び名が使われています。
 
江戸時代から栽培されていて、
最盛期の昭和の前半には、淡路島全体で
約170haも「鳴門柑」の畑がありました。
 
風味の良さが評価され、東京に進出し、
贈答品として高値で販売されていましたが、
現在では生産者が減り、「幻の柑橘」とも
呼ばれています。
 

「鳴門柑」の特徴

「鳴門柑」の大きな特徴は、
何と言っても独特の豊かな香り。
そして爽やかな酸味や、ほろ苦さです。
果汁が多く、皮ごと絞ってジュースなどすると
昔懐かしいみかんの味がします。
 
 
近年は、糖度の高い柑橘類が主流で、
爽やかな酸味とほろ苦さが特徴の
「鳴門柑」は生産量は減少しています。
 
夏ミカンよりやや小ぶりの大きさの
「鳴門柑」の収穫は、晩柑類の中でも遅く、
開花後翌年の5月から7月です。
 
 

「鳴門柑」歴史

 
淡路島では、江戸時代から
柑橘類の栽培が盛んに行われてきました。
近隣の瀬戸内の地域で、レモン栽培が
盛んに行われていることから分かるように、
「淡路島」の温暖な気候は、
オレンジの栽培にとても適しています。
 
淡路島でしか栽培されていない「鳴門柑」は、
300年前に発見されてから現在まで、
改良されていない、「原種」に近い
珍しいオレンジです。
 
約300年前の江戸時代、
淡路島は「徳島藩領」でした。
淡路島の由良(現在の洲本市南部)に
住んでいた藩士の陶山(すやま)氏が、
唐橙(唐柑)の種子を庭にまき、
育った実のうち美味なものを選んで種を採り、
育てたのが始まりとされています。
 
 
廃藩置県前は徳島藩の領地であり、
陶山氏が仕えていた藩主が
「鳴門みかん」と名付け、
戦後になって「鳴門オレンジ」というい
名称が定着しました。
 
秀吉の「四国征伐」勝利後、蜂須賀家政
(蜂須賀氏の祖・小六正勝の子)は
阿波国に入国し、徳島城を建築しました。
 
秀吉没後は家康に近づき、関ヶ原の戦いでは
東軍についたことから、蜂須賀家は家康より
阿波国の所領を安堵されます。
 
大坂の陣で再び徳川方に参戦して武功を立て、
淡路国を加増され、以降江戸幕末まで淡路島は
蜂須賀家の所領(徳島藩)となり、その統治は
代々、阿波徳島藩家老の稲田氏が行いました。
 
明治3(1870)年に「庚午事変(稲田騒動)」が
起きたことにより、淡路島は阿波(徳島)と
別れて兵庫県に編入されることになりました。