梅干し

 
「梅干し」(うめぼし)は定番の縁起物です。
敬老祝いや長寿祝いなどの
お祝い事のギフトとしてだけではなく、
結婚式のプチギフトや引き出物にも
よく選ばれています。
縁起の良さ、内容量の多さ、賞味期限の長さ、
どれをとっても贈りやすい食べ物です。
 
 

「梅干し」が縁起が良いとされる理由

 
「梅干し」は色々な意味で
縁起が良いとされている食べ物です。
 
シワは長寿の象徴
「梅干し」のシワが寄った見た目から、
「シワが寄るまで元気に過ごせますように」と長寿の願いが込められているのだとか。
また生薬としても用いられ、
健康に良いというイメージがあるため、
贈り物にはピッタリです。
 
夫婦円満の象徴
また「梅干し」のシワには、
「シワが出来るまで
 夫婦が共に歩んでいけるように」という
夫婦円満の意味合いや願い込められて
います。
 
子孫繁栄を連想させる
「梅」という漢字が木偏に「母」と書くことや
発音した時の語感が「うむ」であることから
「子孫繁栄を願う意味」を持ち合わせています。
 
お祝いの場に相応しい「喜びの花」の梅
梅はまだ寒さの厳しい初春の頃に花を咲かせ、
真っ先に春の訪れを知らせてくれることから、
春の訪れを祝福する「喜びの花」とも呼ばれています。
そんなことから、その実で作る「梅干し」も、
縁起の良い食べ物とされています。
 
梅はその日の難逃れ
「梅はその日の難逃れ」と言われ、古くから、
災難や厄を除けてくれる食べ物として
親しまれています。
 
「梅干しを、一日の始めの朝に食べておけば、
 災難から逃れることが出来て、
 その日一日を元気に過ごすことが出来る」
という意味です。
 
梅に含まれる「クエン酸」には、
「疲労回復」や「殺菌効果」があるので、
昔から病気の予防に使われ、
このように表現されるのだと思います。
 

申梅にまつわる伝説

平安時代に、村上天皇の御代の
天徳4年の申年(西暦960年)の頃、
その年は京の都に悪疫が流行り、
天皇ご自身も病に倒れられました。
 
しかし天皇は、「梅干し」と昆布入りのお茶を
飲んだところ快癒されたことから、
天皇はこの方法を都の人達にも広く伝え、
多くの民も救われました。
 
この時使われた「梅干し」が
申年に収穫されたものであったことから、
「申梅」は大変縁起が良いとされ、特に
「甲申年」の梅が珍重されるようになりました。
 
時代が下って、江戸時代のある申年、
豚コレラの大流行で、
多くの人が命を落としました。
この時も、「梅干し」を食べていた人達だけは
無事だったという伝承も残っています。
 
「申年の梅は病が去る、神が宿る梅、
 縁起が良い梅」とも言われています。
 

兵糧丸(ひょうろうがん)

「梅干し」は、薬効だけでなく、
「保存性」という意味でも重宝されました。
 
戦国時代から江戸時代にかけて使われていた
丸薬状の携帯保存食を「兵糧丸」(ひょうろうがん)
言います。
 
戦国時代、梅干しは貴重な兵糧でした。
戦地に梅干しを携帯し、栄養補給だけでなく、事ある事に眺めては口の乾きを癒したり、
気付け薬としたり、傷病の手当に使ったり、
お守りのように身に着けて精神を安定させたりと、重要な物資として扱われたようです。
そして梅干しを作るために、
梅の木を植栽することが勧められました。
 
水渇丸(すいきつがん)
「水渇丸」(すいきつがん)は、
梅干しをベースに調合された携帯保存食です。
潜伏時、走行時、移動時など、喉が渇いた時に
唾液の分泌を促すために使われました。
現代で言えば、のど飴やチューイングガムを
栄養豊富にしたものでしょうか。
 
梅干しの他、氷砂糖、麦芽、松の甘皮、
茶・柿の葉・桃の葉、生姜・日本ハッカなどを
粉末にして、少量の果汁とか酒を混ぜて、
丸薬にしました。

f:id:linderabella:20210227075121j:plain