梅干し

 
敬老祝いや長寿祝いなどのお祝いごとのギフトだけではなく、
結婚式のプチギフトや引き出物にもよく選ばれているのが、
「梅干し」です。
 
 

梅干しが縁起がいいとされる理由

 
梅干しはいろいろな意味で縁起がいいとされている食べ物です。
 

シワは長寿の象徴

梅干しのシワが寄った見た目から、
「シワが寄るまで元気に過ごせますように」や
「シワができるまで夫婦が共に歩んでいけるように」という
長寿の願いが込められているのだとか。
梅干しは昔、薬としても用いられていたころから、
健康に良いということも、贈り物にはピッタリです。
 

子孫繁栄を連想させる

また、「梅」という漢字が、木へんに母と書くことや
発音した時の語感が「うむ」であることから
「子孫繁栄を願う意味」も持ち合わせています。
 

お祝いの場に相応しい「喜びの花」の梅

梅はまだ寒さの厳しい初春の頃に花を咲かせ、
真っ先に春の訪れを知らせてくれる植物です。
春の訪れを祝福する「喜びの花」とも呼ばれており、
その実で作る梅干しも、縁起のいい食べ物とされています。
 
 

梅はその日の難逃れ

梅干しは、「梅はその日の難逃れ」と言われ、
災難や厄を除けてくれる食べ物として古くから親しまれています。
「梅干しを、一日の事始めの朝に食べておけば、
災難から逃れ、その日一日を元気に過ごすことが出来る」
という意味です。
 
梅に含まれる「クエン酸」には、
「疲労回復」や「殺菌効果」があるので、
昔から病気の予防に使われ、このように表現されるのだと思います。
また、梅干しには腸の調子を整える作用もあるそうです。
青梅の実は、6から7月頃に取れるので、
雨の多いこの時期を「梅雨」と呼ぶようです。
 
 

万能薬としての梅干し

平安時代、村上天皇が梅干しと昆布の入ったお茶を飲むことで、
病が治ったということが始まりとされ、
梅干しは薬のような役割だけでなく、
後に、縁起を担いだり、厄除けなどの役割も持つようになったと
言われています。
 
「梅干し」が庶民の口にも入るようになったのは、
江戸時代に入ってからです。
江戸時代の末期にコレラが蔓延した際、梅の殺菌力が注目され、
この病を回避するための手段として用いられました。
 
 

兵糧丸

梅干しは、その薬効とともに保存性も重宝されました。
戦国の世や戦争の時代においては、梅干しは貴重な兵糧でした。
戦時に梅干しを携帯し、お守りのように身に着け、
事あるごとに眺めては口の乾きを癒したり、
気付け薬としたり、他にも傷病の手当に使われたりと、
梅干しは重要な物資として扱われたようです。
そして梅干しを作るために、梅の木を植栽することが勧められました。
 
補給を少しでも楽にしたい戦国大名の悲願の末に
兵糧食として生まれた「兵糧丸」(ひょうろうがん)という
携行食品があります。
 
上杉謙信や武田信玄などの名だたる戦国大名が
「兵糧丸」の価値を認識し、活用しました。
 
兵糧丸の材料や製法は開発者によってまちまち。
米や蕎麦粉、葛粉、山芋粉などの炭水化物に、
脂質及びタンパク質が豊富な穀物や豆類、鰹節などの魚粉、
ミネラル、ビタミン類として、梅干や松の実、ゴマ、エゴマ、菜種、
その他の材料とを混ぜて作った団子で、
かなりの栄養がある携帯食であったようです。
 
例えば竹中半兵衛の兵糧丸は、
薬用人参、もち米、ごまを冷水に浸した後に
干して粉末状に砕き、また水につけて丸く固めたものとなります。
これが甘党の德川家康だと、黒豆、黒ごま、片栗粉、砂糖になります。
 

伊賀流 兵粮丸

兵糧丸の研究開発に特に力を入れたのが、忍者です。
軽装な出で立ちで何日も潜伏活動を行うため、
最小にして最大限の栄養効果を発揮するものでなくてはいけない・・・。
そのため、兵糧丸の材料は、
薬用人参、そば粉、小麦粉、山芋、甘草、ハト麦、もち米、酒など
種類が多く、栄養素が万遍なく摂取出来るものでした。
 
三重県伊賀市にある正徳2(1712)年創業の「紅梅屋」では、
昔ながらの製法で「伊賀流 兵糧丸」を今に伝えています。
 
 
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