紗綾形(さやがた)

「紗綾形」とは、
卍の字を斜めに崩し、組み合わせて連続模様にしたもので、
「卍崩し」「卍繋ぎ」「雷文繋ぎ」などとも呼ばれます。
桃山時代に明から伝わった織物「紗綾」の地紋に使われていたために
この名が付けられました。
 
「不断長久」( 絶えることなく長く続く)という意味があり、
家の繁栄や長寿を願う文様です。
ですから、かつては女性の慶事礼装用の半衿は
「紗綾形地紋」と決まっていました。
現在も、着物や長襦袢の地紋に多く用いられています。
 
 そもそも「紗綾」(さや)とは、
表面が滑らかで光沢のある絹織物の一種を指します。
その「紗綾」に、
「卍」(まんじ)を斜めに重ねた
「万字繋ぎ」(紗綾形)が頻繁に織り出されたことから、
織物の呼び名が「紗綾形」という文様の名称になったと言われています。
 
 
「卍」(まんじ)は、
仏教用語で「万」の字の代わりに用いられています。
「万」とは「よろず、すべて」という意味を持ち、
宇宙、無限などを表します。
 
この「卍」の歴史は大変古く、
インドでは
紀元前8,000年前の地層から「卍」が記された遺跡が発掘され、
当時から「卍」は宗教的な意味合いを持つシンボルだったようです。
 
やがてこの「卍」は、インドから東西に広まり、
キリスト教や仏教と結び付きました。
インドからChinaへともたらされた「卍」は、
当時の仏典の訳者によって「万」の字の代用品となりました。
また、幸福や功徳を表すものでもありました。
 
 
日本に「卍」が伝えられたのは、奈良時代の頃です。
奈良時代に作られた薬師寺本尊の薬師如来の掌と足の裏には、
この「卍」が描かれています。
 
絹織物の発祥の地でもあるChinaでは、
この「卍」を文様化して、絹織物の地紋に用いるようになりました。
地紋の入った絹織物は、
初めは「綺」(き)と呼ばれていましたが、
明の時代になると、
この織物が「紗綾」(さや)と呼ばれるようになります。
この「紗綾」という絹織物が桃山時代に日本にもたらされて、
この絹織物の地紋に多く用いられていたことから
「紗綾形」と名付けられました。
 
江戸時代の流行・風俗をまとめた
『守貞謾稿』(天保8(1837)年起稿)では
「万字繋」(まんじつなぎ)として紹介されていて
「万字繋ぎ、京坂の俗は綸子形と云ひ、江戸には紗綾形と云ふ。
 綸子および紗綾ともに専らこの紋を織る。」とあります。
 
江戸と京坂で呼び方は異なっていたようですが、
いずれも織物に頻繁に使われた文様がそのまま呼称になっていたようです。
 

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