菅原道真公は25日に縁があります。
- 6月25日:誕生
- 1月25日:大宰府に左遷
- 2月25日:死去
そのため、毎月25日は天神様の縁日となります。
菅原道真が京の都を去る時に詠んだ
「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花
主なしとて 春な忘れそ」
は有名。
その梅が、京の都から一晩にして
道真の住む大宰府の屋敷の庭へ
飛んできたという
「飛梅伝説」も有名で、
道真を祀る天満宮の神紋は
「梅紋」となっています
(太宰府天満宮は「梅紋」、
北野天満宮は「星梅鉢紋」)。
菅原道真が没した直後、
「天満大自在天神」として祀られますが、
道真を讒言をした藤原時平、
醍醐天皇の皇子が相次いで病死、
更には清涼殿が落雷を受け
多くの死傷者が出た「清涼殿落雷事件」など、
天変地異が連続して起きます。
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道真の怨霊は、
「清涼殿落雷事件」をきっかけに、
北野の地に祀られていた
「地主神」(じぬしのかみ)の
「火雷神」(ほのいかづちのかみ)と
結び付けて考えられ
「火雷天神」(からいてんじん)となったのです。
そのため朝廷では、
京に「北野天満宮」、
大宰府に「安楽寺天満宮」
(現・「太宰府天満宮」)を建立し、
「北野天満宮大神」の神号を与えて、
道真の祟りを鎮めようとしました。
鎌倉時代以降には
「冤罪を晴らす神」、
和歌・連歌など「芸能の神」、
現世の長寿と来世の極楽往生に導く神として
信仰されるようになり、
「天神信仰」が広まりました。
ところで、「天満宮」など、
菅原道真を祀る神社に行けば決まってあるのが
「牛」(使いの牛)。
これには、色々な説があります。
- 菅原道真公の生年が承和12(846)年6月25日で「乙丑の年」だから
- 薨去されたのが延喜3(903)年2月25日の
「丑の日」だから - 菅原道真公の御遺骸を載せた車を引く牛が
座り込んで動かなくなった場所をご墓所と定めたことからこの説から「使いの牛」のほとんどが
「臥牛」(がぎゅう)と呼ばれる座った
姿勢をしています - 農耕の神のご神徳から
そのシンボルとする説 - 菅原道真公薨去後に下された
「天満大自在天神」という神号から「大自在天」(だいじざいてん)は、元々は
バラモン教の大本尊で、発臂三眼で、
白い牛に跨っているとされているので、
そこから結びつけられたようです。 - 大宰府へ下られる際、牛に乗られていた
- 菅原道真公が牛を愛育されていた
- 刺客から牛が菅原道真公を守ったことがあった
などです。
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