古事記
木花之佐久夜毘売と石長比売
幾重にも棚引く雲も押し分け、神威を持って道をかき分けて、
「筑紫の日向の高千穂の久士布流多気 」の地に天降られました。
するとそこへ、天忍日命 と天津久米命 が参上して臣従を誓いました。
ゆえに、ここは誠に良い土地だ。」とおっしゃって、
そこに立派な宮殿をお建てになられました。
そこに落ち着いた邇邇芸命 は、笠沙岬 で世にも麗しい乙女に出会いました。
姉の石長比売 とともに、多くの品物を持たせて嫁がせました。
姉の石長比売 は容姿がちょっと残念だったので、
妹の木花咲耶比売 だけを留めて、一夜の交わりをしました。
「石長比売 を共に献上したのは、
木の花が咲き乱れるように栄えるという意味が込められていますが、
このような訳で、天皇の寿命は永遠ではなくなったのです。
木花之佐久夜毘売の出産
「これは我が子ではない。おそらくどこかの国津神 の子であろう」と
言いました。
これに木花咲耶比売 は怒り、
「身籠った子が国津神 の子であれば、無事に生まれず、
四方を壁に囲まれ、戸を悉く土で塗り塞いだ産屋「八尋殿 」を作り、
中に入ると土で隙間を塞ぎ、出産が始まると産屋に火を放ちました。
火は見る間に産屋を包み、その燃え上がった炎の中で、
比売は三柱の子、火照命 ・火須勢理命 ・火遠理命 を産みました。
最後に生まれた火遠理命 こそが、
現在も続く初代の天皇となられる
「神倭伊波礼毘古命 」こと「神武天皇」の祖神です。
疑いも晴れ、邇邇芸命 と木花咲耶比売 は末永く高千穂の宮で暮らしました。