古事記
高天原の「天津神 」と葦原中国の「国津神 」との間には、
様々な攻防もありましたが、
ようやく高天原の神々が統治する基盤が整いました。
邇邇芸命の誕生
天照大御神と高御産巣日神(高木神)両神は、
改めて天忍穂耳命 に天降るように命じました。
ところが降臨しようと身支度をしていた天忍穂耳命 に
突然、「天邇岐志国邇岐志天津日高日子番能邇邇芸命 」という名の
御子神(邇邇芸命 )が生まれたため、
この御子神を豊葦原水穂国 に天降りさせることを願い出、
受け入れられました。
「天孫降臨」と呼ばれるようになりました。
天孫降臨に従った神々
葦原中国の統治者として、地上へ降り立つことになりました。
そしてこの時、天照大御神は「三種の神器」となる
「八尺の勾玉 」「八咫鏡 」「草薙剣 」を授け、
鏡を自分自身だと思って、地上でも祀るように命じるのでした。
猿田毘古神
その途中の天之八衢 という場所に一柱の神が立ちはだかっていました。
その神は、上は高天原を照らし、下は葦原中国を照らすほどの
パワーのある高貴で美しい神でした。
天照大御神と高御産巣日神は天宇受賣命 を呼んで、
「お前はか弱い女だが、向き合った神に一歩も引かない強さを持っている。
だからお前が行って、我が子が天降ろうとする道を塞ぐのは誰か、
尋ねよ。」と命じました。
その主はこう答えました。
「私は国津神で、名は猿田毘古神 と申します。
天津神の御子が降臨されると聞き、
その先導役を務めようとこうして参った次第です。」
その時の猿田毘古神 の姿は異様なものであり、
天狗のような長い鼻、ほおずきのような赤い目、
背丈が七尺(約210cm)、口と尻からは明るく光っていました。
天孫降臨
天照大御神に促され、邇邇芸命は降下を始めました。
幾重にも棚引く雲も押し分け、神威を持って道をかき分けて、
途中、天の浮橋で小休止した後、
「筑紫の日向の高千穂の久士布流多気 」という地に
降り立つことが出来ました。
猿田毘古神と天宇受賣命
ところで案内を成し遂げた猿田毘古神 は、
その後、故郷に戻ることになりましたが、
この時、神々は天宇受賣命 に猿田毘古神 を故郷まで送り届け、
そのため、一部では、
その子孫は「猿女の君 」と呼ばれて、朝廷の祭祀に仕える巫女の一族として
後世にも中央と深く関わっていきました。