箒(ほうき)

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「ほうき」は「箒」と書き、
古くは「ははき」と言いました。
 
箒には、「箒神」(ははきがみ)という
出産に関わる神様が宿ると言われています。
赤ちゃんが生まれる部屋に
箒を立ててお酒を供えたり、
妊婦のお腹を箒で撫でる習慣がありました。
安産を祈る方法として、箒の一部を取って
髪に刺すこともありますが、
これは箒が物を集めたり
掃き出したりするという力に関係しています。
赤ちゃんの魂を
しっかりと集めて離さないように、
無事に生まれてくるようにという意味です。
 
玄関に飾ると、幸せをかき入れるとも
言われています。
「掃き出す」「払う」という行いが、
邪気払いに結び付いたそうです。
長居するお客を早く帰すために、
「ほうき」を逆さに立てておくという、
おまじないのようなものがありますが、
これも「掃き出す」「払う」という
意味からでしょうか。
 
 
箒の相棒「ちりとり」の原型「はりみ」も
「実が入る」ということにかけた縁起物です。
和紙に塗ってあり、柿渋の色が美しくため、
飾り物として使われることもありますが、
ゴミを受け取る口は柔らかく地面にフィットし、
静電気も起きないので、実用品としても
優秀です。
 
 
「箒」(ほうき)は、
日本最古の歴史書『古事記』や『万葉集』に
「帚持」(ははきもち)「玉箒」(たまははき・たまばはき)
という名で登場します。
 
『古事記』では、
葦原中国(あしはらなかつくに)
平定に乗り出した天照大神が
第二の使者として派遣した
天若日子(あめのわかひこ)が、
大国主神に国譲りを迫るために
地上に降り立ちますが、
大国主神の娘の下照比売(したてるひめ)と恋に落ち
結婚をしてしまいます。
なかなか戻ってこない
天若日子にしびれを切らした天照大神が、
キジの鳴女(なきめ)を送り込みますが、
天若日子はその鳴女を射殺。
それを知った天照大神が
「もし天若日子に邪心があれば、当たれ」と
その矢を突き返したところ、
天若日子の胸を貫き死んでしまいます。
「帚持」は、この天若日子のお葬式の場面で
「鷺(さぎ)を帚持と為」
(鷺がほうきを持つ役目として)と
出てきます。
 
『万葉集』では、
大伴家持が以下のように詠んでいます。
 
初春の 初子 (はつね) の今日 (けふ) の玉箒
手に取るからに 揺らぐ玉の緒 
 
初春の今日、玉飾りをした箒を手に取ると玉飾りが揺れて
喜ばしく音をたてる。
 
これは、758(天平宝字2)年正月3日の
「初子」の儀式に、
孝謙天皇が侍従・竪子・王臣達を召して、
内裏の東屋の垣の下に伺候させ、
「玉箒」を授けて宴を催した際の
大伴家持の歌です。
 
「玉箒」は、本来、
養蚕の床を掃く道具だそうですが、
ここで詠まれている「玉箒」は、
儀式用のものだそうです。
「玉箒」を揺らすと
玉(魂)が活発になり、
邪気を払うと考えられていたと言います。
 
正倉院には、まさに758(天平宝字2)年
正月初子の日の儀式で用いた
「子日目利箒」(ねのひのめとぎほうき)という
「ほうき」が保存されています。
 

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古代では、「祓い浄める」ことに使用され、
掃除道具というより祭祀の道具としての
意味が強かったようですね。
現在でも、神社や寺院が竹箒で
美しく掃き清められていますね。
 
儀式的な要素が強かった「箒」が
実用的な掃除道具となるのは、
平安時代に入り、
歳神様(年神様)を迎えるために
宮中で年末に「すす払い」の道具として
使われてからです。
室町時代には「ほうき売り」が登場し、
生活に欠かせない掃除道具となりました。