神葬祭(しんそうさい)

葬儀は、多くの場合は「仏式」なのですが、
「神道式」もあります。
神の世界に再び変えるとされる死者を祀り、
子孫を温かく見守る守護神になってもらう儀式です。
 
『古事記』によると、
天若日子(あめのわかひこ)という神が亡くなった際、
葬儀のため喪屋を建て八日八夜の殯(もがり)をしたと、
弔った描写が記されています。
 
喪屋を作りて、河雁を岐佐理持とし、鷺を掃持とし、
翠鳥を御食人とし、雀を碓女とし、雉を哭女とし、
如此行ひ定めて、日八日夜八夜を遊びき
 
-口語訳-
雁がキサリモチを務め、鷺は箒を持ち、
翠鳥(カワセミ)は天若日子へのお供え物を作り、
雀は米をつき、雉は泣女(なきめ)をつとめ、
八日間にも渡っての昼夜、歌い舞った。
『古事記』より
 
古代におけるこの葬儀の様子は、
まさしく神葬式の源流となるものです。
その点でも神葬祭は、日本固有のお葬式であると言えるでしょう。
 
 
しかし大宝2(702)年に行われた
持統天皇の大喪(天皇の葬儀)から仏教色が強まり、
続く文武天皇・元明天皇・元正天皇の大喪も
これに倣って行われるようになりました。
 
中世以降は、仏教の興隆とともに
公家や武士にまで「仏式」の葬儀が広まりました。
更に江戸時代に入って
徳川幕府がキリスト教の禁教とともに寺請制度を実施し、
一般庶民をそれぞれの寺院に檀家として所属させました。
そのため僧侶が独占的に葬儀を行うようになり、
「仏式」による葬儀が一般にも定着したのです。
 
 
しかし、江戸時代の半ば頃から
我が国古来の葬儀のあり方を見直す動きが起こり、
明治時代以降に一般的に認められるようになりました。
現在では、神道墓地を持つ神社もあります。
家庭では仏式の仏壇に当たる御霊舎(祖霊舎)をしつらえます。 
 
 

f:id:linderabella:20210311155416j:plainf:id:linderabella:20210206070244j:plain