多芸志美美命の陰謀

古事記 
 
時が過ぎ、神武天皇はかむあがり(天皇がなくなること)ました。
享年137歳でした。
 
神武天皇の阿比良比売あひらひめとの間の子・多芸志美美命たぎしみみのみこと
強引に須気余理比売いすけよりひめを自分の妻とした上、
三人の異母兄弟(日子八井命ひこやいのみこと神八井耳命かむやいみみのみこと神沼河耳命かむぬなかわみみのみこと)を殺して、
皇位を奪おうと企みました。
 
それを知った須気余理比売いすけよりひめは、三人の御子を救いたい一心で、
子供達にその陰謀を伝えるため、次の歌をお詠みになりました。
危機が目前に迫っていることを伝えようとしたのである。
 
  狭井河さゐがはよ 雲立ち渡り 畝火山うねびやま
  木の葉さやぎぬ 風吹かむとす
 
 -訳-
  狭井河の方角から雲が立ち上がってきて、
  畝火山うねびやまの木の葉が鳴り騒いでいる。
  大風が吹き出そうとしている。
  畝火山うねびやま 昼は雲揺くもとゐ 夕されば
  風吹かむとそ 木の葉 さやげる
 
 -訳-
   畝火山うねびやまは、昼間は雲が揺れ動き、
   夕方になると大風く前触れとして、
   木の葉がざわめいている。
 
その歌を聞き、御子たちは義兄の陰謀に気付き、、
神沼河耳命かむぬなかわみみのみことは兄の神八井耳命かむやいみみのみことに次のように言いました。
「兄上、あなた様が武器をとり多芸志美美命たぎしみみのみことを殺して下さい。」
 
神八井耳命かむやいみみのみことは武器を持って多芸志美美命たぎしみみのみことを殺そうとしましたが、
いざ目の前にすると手足がぶるぶると震えて、
殺害を実行することが出来ません。
 
そこで次に、神沼河耳命かむぬなかわみみのみことが兄の武器を譲り受けて屋敷に潜り込み、
多芸志美美命たぎしみみのみことの殺害に成功し、陰謀は失敗に終わりました。
その偉業を称えて、
神沼河耳命かむぬなかわみみのみことは「建沼河耳命たけぬなかわみみのみこと」呼ばれることになりました。
 
また、兄の神八井耳命かむやいみみのみことは、弟の建沼河耳命たけぬなかわみみのみことに皇位を譲り、
「私は敵を殺すことが出来なかったが、あなたは見事に敵を殺した。
 だから、兄ではあるが天皇とはならず、
 あなたが天皇となり、天の下を治めなさい。
 私は祭祀を司って、あなたを助け仕えましょう」 と言いました。
 
神沼河耳命かむぬなかわみみのみことは葛城の高岡宮で、天の下を治めになったのでした。
これが第二代・綏靖天皇すいぜいてんのうです。