本殿(ほんでん)

神社の施設のうち、神社の中心で最も大切な聖なる場所で、
神様(祭神)のいらっしゃるところを「本殿」と言います。
「神殿」「正殿」(しょうでん)「宝殿」とも言います。
 
 

本殿

本殿の内部は
「内陣」(ないじん)と「外陣」(げじん)に分かれています。
 
御霊代(みたましろ)を安置するための
神座(かむくら)が設けられているのが「内陣」、
それ以外の手前側が「外陣」と言います。
 
本殿は人が内部に入ることを想定していないため、
「拝殿」より小さいことが多い。
古くは1宇の本殿に1柱の神が祀られていましたが、
現在では1宇の本殿に複数の神が祀られることも多いです。
「宇」:建物・屋根・天幕などを数えるのに用いる
 
「内陣」と「外陣」に分かれている場合は、
「内陣」に神体が納められ、
「外陣」は献饌・奉幣の場として使われています。
 

本殿の起源

奈良時代より以前には、本殿のようなものはなく、
神様を山や樹木、岩などにお迎えしてお祭りをしたと言われています。
今日でも「大神神社」(おおみわじんじゃ)や「諏訪大社」(すわたいしゃ)は、
山を御神体としていて、本殿がありません。
これは、古代の様式を今に伝える顕著な例と言えるでしょう。
 
神社は、古くは「ヤシロ(社)」と言って、
この「ヤシロ」とは本来は「屋代」の意味で、
神を祭る仮小屋や祭壇を指していました。
ヤシロの「シロ」は、
穢れを付着させるための身代わりとされる「形代」の「シロ」と同意です。
神の依代である「神籬」(ひもろぎ)は、最も小さなヤシロと言えるでしょう。
この神の仮住まいに過ぎなかった「ヤシロ」は、
寺院において仏像を祀る仏教の影響から、
御神体を常祭する「神社」へと変貌してきました。
 
 

本殿の建築様式

各地の神社にお参りすると、
それぞれの神社で社殿の形式が異なっていることに気が付きます。
建物自体、細部まで見るとその違いは多岐に渡ります。
古典的な神社建築(本殿建築)は、以下のように分類することが出来ます。
  • 柱の下に土台を持つもの     :流れ造り、春日造り
  • 心御柱(しんのみはしら)を持つもの :神明造り、大社造り
  • 内部が2室に分かれるもの    :住吉造り、八幡造り
 
奈良時代頃から社殿建築が発達し、
「神明造」(しんめいづくり)、「大社造」(たいしゃづくり)といった
純日本式の建築が現れ、
その後時代が下るにつれて大陸文化の影響を受けたり、
仏教寺院の様式の一部を取り入れたりして多様化しました。
 
他には、
「春日造り」(春日大社)、「住吉造り」(住吉大社)、
「八幡造り」(宇佐神宮や石清水八幡宮)、
「流れ造り」(賀茂御祖神社)、
「権現造り」(東照宮)などがあります。
 

神明造り

伊勢神宮に代表される神社建築。
掘立柱・切妻造・平入、
円柱の柱や鰹木を除き、ほぼ平面的に加工され直線的な外観。
奥行きより幅が大きい。
高床式倉庫から発展し、
穀物の代わりに神宝を納めるように変化したと考えられています。
 
江戸時代以前は、
伊勢神宮の他は伊勢神宮の神領地などに限られていたのですが、
明治以降「掘っ立て柱を礎石立てに改める」など
伊勢神宮の形式と
一部変えた形式の「神明造り」の本殿が奨励されたため、
合祀などによる遷宮において
「神明造り」を採用することが流行し、
「神明造り」の神殿が増加しました。
 
なお、伊勢の神宮の「皇大神宮(内宮)」・「豊受大神宮(外宮)」
両宮の本殿の様式は、
他社においてこれと完全に同じ社殿を建てるのを
明治新政府によって禁止され、
伊勢神宮にしか存在しないため、
特別に「唯一神明造」(ゆいいつしんめいづくり)と呼ばれています。
 

大社造り

掘立柱・切妻造・妻入、屋根は優美な曲線、入り口が向かって右。
高床式倉庫から発展し、
穀物の代わりに神宝を納めるように変化したものと考えられ、
大社造はほぼ正方形の古典的な日本家屋に近い「田の字」形であるため、
祭祀の場に使われていた宮殿が社殿に発展したとされています。
出雲地方に広く分布。

主な「大社造り」
出雲大社、熊野大社、須佐神社、八重垣神社など

 

f:id:linderabella:20210311155416j:plain