昆布(こんぶ)

 
縁起のいい食べ物として、
結婚式やおめでたい席に欠かすことが出来ない「昆布」は、
鎌倉・室町時代から今日まで
「よろこんぶ」として縁起物とされています。
 
 

昆布の歴史

「昆布」の歴史はあまりに古く、確かな記録は残っていません。
「昆布」について書かれた最も古い記録は、
奈良時代の歴史書『続日本紀』には、
「霊亀元(715)年、
 蝦夷の須賀君古麻比留から"こんぶ"が朝廷に献上された」と
書かれています。
『延喜式』には、地方の特産物を収める税金として
陸奥の国(青森県)から昆布が納められていたとあります。
鎌倉中期以降になると、昆布の交易船が
北海道の松前と本州の間を盛んに行き交うようになりました。
昆布が庶民の口に入るようになったのは、その頃からです。
海上交通が盛んになった江戸時代には、「北前船」により
下関から瀬戸内海を通る「西廻り航路」で、
直接、商業の中心地である「天下の台所」であった
大坂まで運ばれるようになりました。
 

 

昔から欠かせなかった昆布

昆布は、平安期には既に祝膳に上っていたようです。
そんな宮中の古式に倣って、室町時代になると
武将が出陣する時のラッキーアイテムとして登場します。
 
戦陣に臨むに先立ち、
勝利を祈願しておごそかな儀式を執り行われました。
 

 
三宝に、
「打ち鮑五本」、「勝栗七箇」、「昆布五切れ」の順に並べます。
まず鮑を広い方から食べ、
土器(かわらけ)に酒を三度注がせて飲み、
次に勝栗を一つ食べて三度四度盃を上げ、
最後に昆布の両端を切り除けて中を食べ、更に三度酒を飲みます。
敵に「打ち勝ち喜ぶ」という意味が込められています。
 

 
そして戦に勝利し帰陣した時は、
初献に勝栗を食べて酒を飲み、二献目には鮑を、
三献目に昆布を食べては酒を飲みます。
順序が入れ替わったのは、
敵に「勝ち、打ちて喜ぶ」、戦勝を祝う意味からです。
 
こうした儀式がやがて民間に伝承され、
熨斗鮑や昆布は、
結婚、元服その他の慶事にはなくてはならないものとなりました。
また正月には、勝ち栗を歯固めに、
昆布の類は鏡餅の上に飾るようになりました。
 

 
広く一般の庶民にまで昆布をお祝い事に使われるようなったのは
江戸時代に入ってからです。
結納の席にも、「子生婦」(こんぶ)として登場するようになりました。
昆布の繁殖力の強さもあって、
「よい子が授かりますように」と用いられていたようです。
食物繊維やカルシウムがたっぷりの昆布は、
妊婦さんにはうってつけの食品ですね。
 

 
 

広布?

「昆布」という名前は何時・誰が名付けたのかは不明です。
「ヒロメ」とは幅が広い海藻の意味で、「広布」と表していました。
それが音読みされ、
「コンブ」と呼ばれるようになったという説があります。
この「ヒロメ」という言葉が、
結婚披露宴を「おひろめ」と呼ぶ語源と言われています。
また、現在でも祝儀の時には、
幅の広い昆布(ヒロメ)を縦二つに折ってぐるぐる巻き、
紅白の紐で結んだものを
床の間に飾るという習慣が残っている地方もあります。
 

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